電車に

のっていて、今日は天気が悪かったから遠くに連なるきれいなかたちの山がしろい霧におおわれていた。
警笛がいつもよりはっきりきこえて、私はそのときわけもなしに、「寂しい」と思いました。
前もどこかに書いた気がするけど、寂しさというものはどうも本能が知ってるとしか思えないです。
そしてうまく言えないけど、寂しいことは、一人の人がそのひとしかいない、この世のなかでただ一人だって言う証拠のようなものじゃないかと思うときがあります。
さびしいことを悪いこととかいやなこととか、最近はあまり思いません。寂しいとき、さびしいのは自然なことだとちょっと思います。そう思うと、寂しいときも寂しいなりに少し安心していられます。
一年に何度かは、なくなった祖父や祖母のことを思い出して、今会えないことがすごく寂しい。ふとしたときに唐突にぽっと思い出して、そのままずっと考えていると必ず涙が出てくるくらい寂しい。昔の飼い猫にも、とてもかわいがってくれた知人のお爺ちゃんにも、今会えないと思うと寂しい。
今日みたいになんの理由もなく寂しいこともあります。
そういう寂しさは別にずっと和らぐこともないしとてももてあましていたんだけど、最近はあまり嫌でなくなってきた。寂しいことにむき合って、寂しいのは当たり前なんだなと思って安心するのが一番私の寂しさが紛れる、といえば紛れるときなのかも知れないなあ。紛れないけど、ただ安心するのかな。
どっちにしろ寂しさは「紛れる」物で、決してなくなるものではないのだし。

もし自分の中に少しもさびしさがなかったら、目にうつる物はもっと味気ないような気がするし、自分じゃない他の人のことなんかきっとどうでもいいだろうと思う。誰か自分じゃない人と楽しくいることも、賑わっている街も、どうでもいいような気がします。みんなが元気でいることが今みたいにはうれしくないのかもしれない。

独り言の覚え書きです。
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