早寝早起き

はやすぎる。

今更ながら関西の人には独自の言語センスがあって、しかもしそれがすごい高い…ということを最近しみじみ思う。芸人さんじゃなくてもね、なんかこうちょっとした言い回しがすてきだったりおもしろかったりするんだよなあ
でも京都の先輩は「いや、大阪の人は一段上だ」と常々言っている
私にはその辺の差異はよくわからなくて(方言としての差異はもちろん感じるけどセンスの方向は関西でざっくりまとめられるような。関西というより京阪あるいは京阪神。)
関西とか関係なくてその人個人のものなのかな、と思ったりする、というかそのへんよくわかんないんだけど。

いや具体的には一文の中で「雑な」と言って良さそうなところを「こなれた」って言って文章がおもしろくなってるっていう事例なんですけどね
これ関西センスだよなー とか… 洒脱だよなー
(万一当事者さんがここみてたら…ごめんね☆)

うーんこの辺イモい九州人(=わたし)にはないセンスなのよね
(※九州人のすべてがイモいことを保証するものではありません。ていうか九州人はイモくない。私がイモいだけである。)
いや、そもそも私にはどんなセンスもないけどさ…
いやー昔先輩が語彙売ってたら100万出しても買いたいとか言ってたけどわかる。語彙とセンス、セットで200万までなら、あの、分割払いできるなら買います… 本気です…
語彙問題(別名鯖の生き腐れ問題)は一時期ここで結構言ってた気がするのだが、未だに思ってるよ
なんかもう何もかもが欠乏している
たとえばね、宝塚の男役はわたしにとって「かっこいい」。普通のイケメン俳優ももまた「かっこいい」。同じ言葉で形容する訳なんだけど、実際そのかっこよさには大きな隔たりがあるわけじゃないですか。そこのところをうまく言えないことは、(まあ実際にはあの手この手でいろいろ試みようとするんだけど、実物の輝かしさには追いつかない)大きなストレスだったりすることがあるわけで…。
思ってることをうまく言えないとき、言葉が万能でないことよりも、まず自分が全然足りてないことを疑うよね。当たり前ですよ、この世の中にはまだ知らない言葉がたくさんあるんだから。

このような状態であっても、文章を書くことができたり人としゃべることができたりするのは、もうある種の奇跡! ポジティブにとらえていくことにしました。かわいそうだなおい。
しかし実際みなさんが懐深いのに助けられているのです。
そこのところはちゃんとわかっているよ!


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話はかわる。
最近読んだ本のなかに「犬のいる暮し」(著者は「清貧の思想」で有名な中野孝次さん)というのがある。
著者は犬を飼い始めてから、ずっと雄の柴犬を飼ってきた。三代目の愛犬をなくし、次の犬を飼うに当たって、飼い主である自分たちが、老境の、ふたりきりで暮らす夫婦であることを鑑みて、彼らは扱いやすい雌の豆柴を選ぶ。
で、まあ豆柴なので当然小さくて、著者が散歩に連れ出そうものなら「かわいい」「かわいい」と声をかけられるのだけど、作者はこれが気に入らない。
今の日本人は「かわいい」ということにとかく至上の価値を置きすぎてる、というのが彼の言い分です。
とにかくなんでもかんでも「かわいい」「かわいい」って言えばいいと思ってる。「かわいい」というのは未達で幼稚な価値観で、なんでもそういうふうにいってしまう今の風潮が自分は大嫌いで、どうせ犬を、それも柴犬を誉めるなら「りりしい」とか言ってほしいと思う。そんなわけで、犬がある程度大きくなるまでは散歩に出さず庭で遊ばせていた、というような話。
もちろん作者は子犬が「かわいい」のは当たり前で、誉める人になんの罪もなく、ただ「頑固親父の言い分」ということはわかってて、それでもあえて上記のようなことをポリシーとして書いてるわけですね。

確かに何でもかんでも「カワイイ」という風潮は顕かだよなー(たとえばコンディショナーのCMで「カワイイはつくれる!」だとか)と思うし、私は至上の価値観とは思わないけども、かわいいものに心を引かれるさがはある。

「犬のいる暮し」は面白い本で、特に作者の文章がいいな、と思った。いわゆる頑固親父系の堅い信念があり、ややクドく感じる部分もなくはなかったけれど、でも逆に一本筋の通った物があるからこそ、とてもすがすがしく、さわやかにも感じられた。語り口調はとにかく明朗闊達でもやもやしたところがない。そういうきっぱりした語り口でありながら、犬と人との機微を細やか情緒豊かに描き出していて、犬との暮らしを描いた前作がベストセラーとなったのもよくわかる気がした。
犬の描写がやっぱりよくて、海外文学で犬を主題とするふたつの対照的な作品を挙げて梗概を説明する章は特にお気に入り。ふたつの小説のよさが、作者の筆によってよく伝わってくる。それこそ二頭の犬がまるで生きてるみたいに。
そんなわけで読んで良かった本なんだけど、本筋とはあまり関係ないところである、「かわいい」という価値観の話がどこか印象に残っていた。

そういう中、菊地成孔さんが、相対性理論について語ってる文章にウェブ上でいきあたった。(関係ないけど相対性理論のよさがぜんぜんわかんない私はいよいよ年とったんだな…と思うよ。感性の話です。実年齢は二十代の間は絶対年取ったとか言いたくない。もっと年とっていくんだからね)
それをひきますと、
「日本は、こう、ヘタウマっていう、それは一つの「幼児性」っていうか、いい意味での、美としての幼稚さですけれども。それをこう愛でるっていう独特の文化があって、で、これはその本当にナショナリズムにも近い独特なもん」
いやーこれだよね、なんていうかそうなんだよ。これって、これこそが、「かわいい」至上主義に繋がるものではないのか。「美としての幼稚さ」、それがかわいいという言葉の、かなり近いところを流れている価値観だ。
私このことに気づいてなかった。犬のいる暮しの著者は、どちらかというと「かわいい」至上主義は最近顕著な物だ(といっても10年くらい前の著作ですよ)としているのだが、菊池さんの言うとおり、日本の文化にもともとそういう萌芽となる価値観があったんだよね。
いやもうこれみんな知ってたことなのかもしれないけど、私は今更はじめて気づいて、かなりハッとしたし、いろんなことが腑に落ちた。
そうよそうよ、「うつくし」ですよ…!
今これにきづけて ほんとによかったなと思う…
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